
先日、妻と食事をしている時に、「人形供養」のニュースが流れた。
「人形って、やっぱりなんか怖いし、簡単に捨てられない気持ちも分かるね」
妻も同じようなことを感じていたんだと思った。
人のように目があり、口があり、でも動かない。
でも、「動きそう」と思ってしまう。
AKAKUROの接客中にも、お客様から、
「雛人形が怖くて、飾れていないんですよね。でも、飾らないのも可哀想だし」
そんなお話を聞くことがある。
娘が生まれた時、義父にがんが見つかった。
義父は落ち込んでいる中でも、娘に雛人形を買ってくれた。
毎年、飾る時には義父のことを思い出し、感謝しながら飾っている。
その時には、つい「ありがとうね」と雛人形に語りかけてしまう。
雛人形やぬいぐるみ。
亡くなったペットの姿をぬいぐるみにすることもある。
それぞれの想いは異なっても、そこに「祈り」や「記憶」を重ねる。
時には、好きなぬいぐるみに愚痴を言ってみたり。
寂しい時には抱きしめたり。
物としてはそこにあるだけなのに、いろいろな記憶が重なっている。
そして、人をかたどった姿をしているから、ただ思い出すだけでなく、つい話しかけてしまうのかもしれない。
動かないと分かっていても、どこかでこちらの声を聞いているような。
怖いと感じることもあれば、つい「ありがとうね」と話しかけることもある。
そこにある物以上の何かを感じてしまう。
人形供養のニュースを見ながら、そんなことを考えた。
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